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kashida(樫田森)

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歩こう関東の自然と歴史
私がいつも歩いている関東の自然、歴史、本などを中心に日々のできごとをつづっていきたいと思いますのでヨロシク(関東以外の話題も少し混じっています) kashida's blog about nature and history of Japan
夏焼集落
天竜川を下って、長野県から静岡県に入ったあたりに大嵐(おおぞれ)という駅があります。大嵐駅から南に延びる長いトンネルを抜けたところに夏焼という集落があります。そこに去年の冬に行って来ました。

oozore3.jpg 
1:25000地形図「三河三谷」

佐久間ダム方面から天竜川に沿って走ってくると対岸に集落が見えてきます。
PB252001.jpg

大嵐駅前を通って長いトンネルに入ります。
PB252025.jpg
かなたに出口が見えます。これは道路規格のトンネルではないように思えます。

トンネルを出て車を置き、山道を10分くらい歩くと集落に出ます。
PB252015.jpg
戸数は7~8軒ですが、半分以上空家のようでした。

仕事を終え、車に戻り付近を散策しようと思いましたが、トンネルの出口から先は通行止めになっていました。
PB252023.jpg

帰って古い地形図を見てみました。
oozore1.jpg
1:50000地形図「満島」昭和27年

当時は飯田線が今と違って天竜川沿いを走っていたことがわかります。やはり現在の夏焼隧道は元は飯田線のトンネルでした。
続いて昭和35年の地図を.見てみます。
oozore2.jpg
1:50000地形図「満島」昭和35年

それまでに比べ天竜川の幅が大きく広がっていて、下流に佐久間ダムができた影響でしょう。
飯田線は大嵐駅から東に大きくカーブして水窪の方に向かっています。夏焼隧道は描かれていません。夏焼集落の住人は大嵐駅までは尾根越えで通うようになったと思われます。

その後、天竜川沿いに佐久間ダムまで県道が開通して夏焼隧道を再利用するようになったのでしょう。ただ現在は夏焼より南は上の写真のとおり不通になっています。

夏焼という地名の意味は「夏に焼畑の火入れをする土地」だそうです。
恐らくこの一帯でも、昭和30年代まで焼畑が行われていたと思われます。かなり自給自足に近い生活だったのではないでしょうか。

上の地形図を見ると昭和30年代ではこの辺の植生はほとんど広葉樹なのに現在ではほぼスギ植林になっています。
ほとんどスギ植林になってしまうと自給自足は難しく、最近の激しい過疎化と関係があるような気がします。

私は仕事で全国を歩いていますが日本の山村はこういうところが多いように感じます。


                                                   旧水窪町夏焼














テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

水窪 過疎最前線


 昨年から今年にかけて、静岡県の最奥地である旧水窪町に行って来ました。町の中心から奥は過疎が激しく、ほとんどの集落が廃村状態でした。

 写真は大野部落(まだ人が住んでいる)から対岸を見たところです、家が見えますがもう人は住んでいません。なんと以前は対岸の山のてっぺんに小学校と中学校があり、子供は歩いて通学していたということです。

PC092223.jpg
                                                           根部落にて

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                                                           大嵐部落にて

PB262045.jpg
                                                           時原部落にて


中世、あるいはそれ以前からずっと人が暮らしてきた村がことごとく消滅してしまうのは大変なことだと思います。


テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

荒崎


大変おひさしぶりです。最近は三浦半島西岸の荒崎というところに行っています。海岸には縞状の地層が露出しています。白っぽい岩が泥岩で黒い地層が火山噴出物(凝灰岩)です。

この地層群は付加体といってフィリピン海プレートがユーラシアプレート側に沈み込むときに日本列島側に付け加わったものです。数百万年前は現在の相模トラフ(水深2000~3000m)はこの辺に存在していたわけです。

このいわゆる鬼の洗濯板のような地形は、海面下の平坦面(海食台という)が大正12年の関東大震災のときに隆起して海面上にあらわれたものです。


                                                   横須賀市長井

テーマ:自然の写真 - ジャンル:写真

東頚城丘陵の棚田
大変お久しぶりです。

今年の秋は新潟の上越地方に行っていました。この付近は東頚城丘陵と言ってほぼ全域が地すべり地帯となっています。

PA211051.jpg

この写真のように山のてっぺんまで見事な棚田になっています。

この原因はこの一帯の地質が第三紀の泥岩でしかも東西から圧縮されているために、現在でも地層が変形し続けており(活褶曲)、泥岩が破壊されて粘土になっているためです。

PA311154.jpg

地元の農家の方々に伺ったのですが、このような棚田の稲作は地すべりを誘発を防ぐために、水路の整備や水抜き井戸が必要で、補助金がなくてはやっていけないそうです。

後継者不足というのもあるでしょうが、放棄されて荒地になった水田が延々と広がっています。

PA281130.jpg

TPPが合意されましたが、もうこんな美しい棚田も見納めかもしれません。

                                                         旧安塚町

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

大磯丘陵の自然
大磯丘陵では7月から8月にかけてのヤマユリが咲き乱れます。



水田ではこの花が見られます。
P1000047.jpg
これはヤブカンゾウといってニッコウキスゲの仲間です。

P1000138.jpg
クヌギの木にはカブトムシがとまっていました。

P1000050.jpg
これはアオスジアゲハです。南方起源のチョウなので幼虫が食べるのはクスノキ、タブノキ、ヤブニッケイ、シロダモなどの照葉樹でまさに大磯丘陵の主な樹種で、この付近にたくさん生息しているものと思われます。アオスジアゲハがとまっている時は普通は翅を閉じるそうですがこの写真を撮ったときは開いていてラッキーでした。


 私は千葉県の柏市に住んでいるのですが、これらの生物は柏ではあまり見られません。大磯丘陵は開発は進んでいますがまだまだ自然が豊かだと感じました。


                                                          小田原市
大磯丘陵


7,8月と小田原市内(足柄平野の東側)の調査に行っていました。足柄平野の東側というとほとんどが大磯丘陵になります。大磯丘陵はもともと相模トラフに堆積した砂や泥で、それが隆起(陸側にくっつき)して相模トラフは現在の位置に南下しました。

P1000029.jpg

山を削ったところではこのように砂と泥が交互に重なっているのがわかります(互層といいます)。


                                                  小田原市沼代
山中の地すべり地


奥多摩の後は静岡の地すべり調査に行ってきました。静岡県は大部分が地すべり地と言えるほど地すべりが多いのですが、地すべり地では岩盤が粘土化していて耕作が出来るので集落が発達しています。写真のように山腹に集落があるところは地すべり地とみて良いと思います。

昔は畑や桑畑が多かったそうですが、現在ではほとんど茶畑となっていて、川根茶は日本でも最大のブランドとなっています。


                                                   旧春野町川竹

奥多摩の植物
もう夏になってしまいました。季節はずれですが前回予告してそのままになっていた奥多摩の花の写真をUPします。



4月の三頭山直下の渓流です。まだ若葉が見られ始めたばかりで、下界より相当涼しいことがわかります。
渓流で一番先に咲く花はこれです。
P3310747.jpg
P4060761.jpg
この花はハシリドコロといって至るところの渓流で春になると礫の間から出てきます。この植物は猛毒を持っていて食べると苦しくて走り回ることからこの名前がついています。

P4060765.jpg
カタクリです。奥多摩湖周辺ではあまり見かけませんでした。

P4060768.jpg
これはキクザキイチゲです。比較的涼しい谷沿いに見られる春の花です。

テーマ:花・植物 - ジャンル:写真

奥多摩湖


大変おひさしぶりです。昨年の9月ころからぶっ続けで現場の仕事でなかなか更新できませんでした。
今は奥多摩湖周辺の沢の調査をしています。ちょうど花が次々に咲く時期なのでいろいろUPしていきたいと思います。

奥多摩湖は東京の水源を確保するために昭和32年に竣工した小河内ダムによる人造湖で、なんと千世帯近くが水没し現在では数えるほどの人家があるのみです。

ここまで来るとかなり人工林は少なくなります。写真にも見えますが山からの土砂が湖の中に押し出して来ています。このようなダムの堆砂はこれからの日本にとってかなりの負担になると思われます。

                                             奥多摩町留浦
杣口林用軌道
先日山梨県有林の森林鉄道跡を見に行ってきました。その名も杣口林用軌道。場所は↓で、ほとんど金峰山の直下です。


林道から荒川に向かって降りていくとまっすぐな細い道にぶつかりました。これは、と思いその道を進んでいくとP8110094.jpg
枕木が現れました。これで林鉄の跡だと確信しました。周囲はシラビソなどの亜寒帯針葉樹林で寒いくらいです。

少し進むと、レールが現れました
P8110077.jpg

さらに行くと道床の上に片方だけレールが、
P8110098.jpg

そしてついに
P8110101.jpg
両方のレールが残っているところに出ました。

アップすると
P8110100.jpg
ポイントがあり、列車交換場所だったことがわかりました。これは貴重です。

日が暮れてきたのでこの辺で切り上げましたが、まだまだ先に続いていました。今度是非終点まで見届けたいです。

西沢渓谷の軌道が有名ですが、ここも人に知られていない割りにかなりのものです。国有林の森林鉄道はレールが撤去されている場合が多いのですが山梨県有林の林鉄はレールが残っていることが多く、これはマニアにとって重要なところです。

                                             旧牧丘町柳平
浜名湖 今切
7月のはじめまで浜名湖の沿岸で仕事でした。



浜名湖は現在は海とつながっていますが、昔は閉じた湖でした。

しかし、明応7年(1498年)の明応東海地震の直後に発生した大津波で海とつながってしまいました。このときの津波はすさまじいもので、伊勢、三河、駿河、伊豆の海沿いの町や村は壊滅、浜名湖岸の橋本宿も消滅しました。
↓の写真はそのとき切れたところで、今切と呼ばれています。(今、切れたという意味か)

P3080568.jpg
P3080569.jpg

こんな砂浜じゃ津波がきたら簡単に流失しそうですね。

その後、江戸時代には1605年(慶長9年)、1707年(宝永4年)、1854年(嘉永7年)とたてつづけに東海地震が発生、1605年と1707年の地震では大津波によって東海道の新居関所がつぶれ、現在の場所に移転しました。

P3080564.jpg

これは新居関所の建物で、1854年の東海地震で以前の関所が倒壊したあと建てられたものです。

その後1944年(昭和19年)に東南海地震が起こりましたが、この地震は1854年の地震にくらべてはるかに規模が小さく特に駿河湾近辺では断層が動いていないため、この地域では近い将来確実に大きな地震が来ると思われます。

やはり駿河湾沿いに住んでいる方は地震が来たらどうするか考えておいたほうがよいでしょう。


                                              湖西市横山、今切、新居町
今、奥多摩で咲いている花たち
12月からずっと奥多摩の調査をしてきましたが、先日最後の調査に行ってきました。やっと山が緑になり花が咲き始めました。


 
これはニリンソウです。沢沿いはもうニリンソウだらけでした。

RIMG0587.jpg

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タチツボスミレです。これは普通に見られるスミレでそこら中で咲いていました。


RIMG0567.jpg

これはエイザンスミレといいます。タチツボスミレよりは珍しいですが、全国で見られるようです。

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これはヒトリシズカ。名前は義経の妾の静御前から来ています。センリョウ科に属するということはかなり原始的な被子植物です。

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これはヤマザクラ。急斜面にへばりつくように生えています。手前の木が斜めになっていますがこれは2月の大雪のせいです。下の谷はもう4月末なのにこんな状況です↓。ここ数十年でこんなに積もったのは初めてだそうです。

IMG_0042.jpg

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ミヤマキケマンムラサキケマン。同じ属で、どちらも有毒植物です。ムラサキケマンは日本全国と中国に分布しますが、ミヤマキケマンは近畿以北でしか見られません。

RIMG0564.jpg

ヤマブキです。それにしても鮮やかな黄色です。この時期は沢沿いにヤマブキが咲き乱れます。

テーマ:花・植物 - ジャンル:写真

アブラチャン


3月末の奥多摩の渓流ではまだ木々の芽も花もほとんど出ていなくて、このかわいらしい花だけが目立っていました。

RIMG0440.jpg

材に油分が多いため、木炭や灯油に使われたためこの名がついたそうです。こういうバイオマスの利用を再び考える時期に来ているように思われます。


                                  奥多摩町栃久保

テーマ:花・植物 - ジャンル:写真

廃村 峰畑 その2
その後、家に帰って亡くなった父の蔵書からこんな本を見つけました。↓

RIMG0369.jpg

その名は「新日本紀行」(NHK出版、昭和47年発行)。あの新日本紀行で放送された内容を本にしたもののようです。

その中に「東京過疎地帯~東京・西多摩」という章があり、なんと峰畑を取材していました!

テーマは、峰畑にあった5軒の住民がみんな山を降り(移住し)、一人残ったおばあさんのために旅芸人が一人芝居をするというものです。

当時の峰畑の写真です。


うわあ、いまからでは想像できない光景です。立派な家があり、周囲は畑が広がっています。今は森の中に平場がぽつんぽつんとあるだけです↓。

PC280453.jpg

一人芝居をする旅芸人の人です。
RIMG0371.jpg

鎌倉時代のころから続いてきたこの光景がついに消えてしまいました。
RIMG0372.jpg

PC280448.jpg

村の墓地(現在)。石造物だけが、そこに村があったことを後世に伝える。墓石には享保○年と書いてあるのが読めました。

私が訪ねたのは昨年の年末でした。離村してしばらくは盆正月には家族が集まったのではないでしょうか。でももうそういうことは2度とないでしょう。

                                   奥多摩町峰畑

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

廃村 峰畑 その1
現在、奥多摩の現場に行っています。
新旧の地図を見比べてみると、廃村らしき場所を発見したので年末に行ってきました。


(1:25000地形図 奥多摩湖 平成7年)

この地図の右上部の奥多摩駅の北西方の寺地という集落から沢を上ったところに畑のマークがあります。古い地形図を見ると

RIMG0189.jpg
(1:50000地形図 五日市 昭和4年)

やはり集落がありました。名前は「峰畑」。そこで行ってみました。

上に通っている林道から降りていくと、植林地の中に大きな平坦地がありました。

PC280437.jpg

これこそ家のあった跡に違いないと思い、近づいてみると

PC280441.jpg

古い洗濯機や甕、一升瓶などが散乱していました。やはりガラスや瀬戸物はいつまでも残ります。洗濯機はそのうち朽ちてしまうでしょう。

                                     奥多摩町峰畑


つづく

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

天城山中の渓流
(仁科峠から見た富士山)

11月に伊豆の天城山中に行ってきました。伊豆というと上の写真のようななだらかな山を思い浮かべますが、実際に山の中に入ってみると全然違って、谷は深く、沢の勾配は急で、上流から大量の土砂が出てきています。

IMG_0052.jpg

これでは過去に大水害が起こったのも頷けます。

丹沢の記事で書きましたが、伊豆ももともとは丹沢に続いて本州に衝突した火山島です。

PC130400.jpg(平朝彦著 日本列島の誕生 岩波書店 より)

この図のように、伊豆はフィリピン海プレートの上にのっていて、図の③のライン(駿河トラフと相模トラフを結ぶ線)で本州にぶつかっています。このため、日本列島の地質構造(図の四万十帯など)がひん曲がってしまっています。

本州が曲がるくらいですから、伊豆半島自身も南から強い力を受けていると思われます。このため天城山一帯が隆起して谷の侵食が盛んになるのでしょう。


                              伊豆市河原小屋沢

テーマ:博物学・自然・生き物 - ジャンル:学問・文化・芸術

道志川と河岸段丘


9月は旧相模湖町の方に調査に行ってきました。山の上から写真のように道志川が見下ろせますが、山の中腹に河岸段丘が発達していて非常に目立ちます。
昔は道志川はこの段丘面上を流れていたことになりますが、現在ははるかに下方を流れています。これはこの付近の山が激しく隆起していることを表しています。

この付近は地質的に丹沢山地に属しています。丹沢山地は昔は(第三紀ころ)伊豆七島のような火山島で、フィリピン海プレートに乗って北上しましたが、島なので海溝で沈みこめずに日本列島に衝突しました。その後現在の伊豆半島が衝突し、いまだにプレート運動が続いてます。このために写真のような段丘が形成されたのです。

昔のプレート境界は現在の相模湖付近を通っています。
RIMG0160_201310161532590d0.jpg
これは相模湖です。山の中腹の地形が凸凹していますが、ここを通っており、これは藤ノ木ー愛川構造線と呼ばれています。

この構造線の手前(北側)は砂岩や泥岩などの日本列島側から流れ込んだものが殆どなのに対して、構造線の向こう側(南側)は大部分が火山性の岩石となっています。
RIMG0063.jpg
このような緑色の岩石(凝灰岩)も見られます。

ちなみに山は連続してじりじり隆起するのではなく、大地震のたびに数十センチとか数メートルずつ隆起します。この段丘は何十万年にわたって大地震が繰り返されてきたことを示しています。


                                相模原市牧馬

テーマ:自然の写真 - ジャンル:写真

黄金色の谷


9月の前半に新潟県の塩沢というところに行ってきました。ちょうど稲刈りの直前で、魚野川沿いの平野は黄金色の世界でした。また山の斜面でも水田が多く上の写真にも写っています。

水田は魚野川の左岸側(西側)の斜面だけに見られます。これは地質の違いによるもので、西側斜面は第三紀~第四紀の泥岩が分布するためです。泥岩地帯は地すべりを起こしやすく、そういう調査を行いました。

RIMG0221.jpg

これは地すべり地の上から見たところで、魚野川の平野は一面の水田であることがわかります。

RIMG0160.jpg

これは地すべりの頭部で、中央部の段差を滑落崖といいます。向かって右側が滑っている部分で、そのためもともと水平であった地面が左側に傾斜しています。また徐々に滑ったため、杉の木が曲がっています。これほどはっきり滑落崖が見られるのは珍しいです。

今回感じたのは、やはり水田は生き物が多いということです。とにかく虫が多くてしかも元気がいい。いまたくさんの識者の方々が日本の農業について論じていますが、こういう視点がまったく欠けているように思われます。

                             南魚沼市栃窪

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

晴海橋
豊洲地区から晴海ふ頭方面に橋を渡ると道路の横にこんな橋がかかっています。




DSC00590.jpg

これは東京都港湾局専用線の晴海橋で、1989年に廃止になってからもここに残っています。

廃線跡はレールが残っているところと残っていないところがありますが、この橋のようにちゃんと残っているところは非常に少なく、私は非常に燃えますw


この路線は国鉄の越中島駅と晴海ふ頭を結んでいたようですが、この橋以外は殆ど残っていないようです。

DSC00595.jpg

橋の先はこのようになっていてやや痕跡がありますが、もっと先へいくと盛土になっていてまったく痕跡もなくなります。

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

下総国相馬郡役所跡と鎌倉街道
成田線の湖北駅と新木駅の間に県立湖北高校があります(現在は廃校)。

DSC00354 (1)

この場所に古代の下総国相馬郡の郡役所がありました。相馬郡は現在の柏市、我孫子市、取手市、守谷市などを含み、古代の東海道がこの付近を通っていました。そして街道上の宿駅である「於賦(おう)」駅がこの付近にあったといわれています。

DSC00352 (1)

これは復元図で、たくさんある建物は農民から徴収した米をおさめる倉庫だそうです。(奥に見えるのは手賀沼)

あと、こんなものも出土したそうです。

DSC00353.jpg

これは奈良時代の貨幣である和同開珎の銀銭で、建物の地鎮祭に使うために半分に割ったそうです。和同開珎はほとんどが銅で銀は珍しいそうです。

湖北高校の裏手に回るとこんな道があります。
DSC00356 (1)

これは中世の鎌倉街道(鎌倉と常総地方を結ぶ街道)だそうです。鎌倉時代の街道網は↓のようになっており、
DSC00489.jpg

湖北高校の裏を通っている道は下道と呼ばれ、ちょうど古代の東海道と同じルートを通っていたようです。

この付近は今は何もない田舎ですが、古代中世はメインルートだったのですね。

                                 我孫子市日秀

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術